「知能低下の人類史 忍び寄る現代文明クライシス」 著 エドワード・ダットン、マイケル・A・ウドリー・メニー

「知能低下の人類史 忍び寄る現代文明クライシス」 
著 エドワード・ダットン、マイケル・A・ウドリー・メニー

やや話が飛躍しすぎな印象もありましたが、なるほどと納得させられる部分も多く、興味深い話でした。
ようするに産業革命以降、人類の知能が低下し続けているという話を科学的根拠を踏まえて証明しているのですが、これがなかなか説得力があります。

簡単に説明すると、まず大前提の話として、産業革命以前までは、人類もほかの野生動物と同じく自然淘汰の歴史を歩んできており、頭脳が優れたもの、身体が強いものが生き残ってきました。
つまり、優生的な遺伝子が生き残り、子孫を残していったので、自然と人間の知的能力は向上していきます。
実際、中世のヨーロッパでは、裕福な階層ほど多くの子どもを持つ一方で、下層民は子どもの数そのものが少ない上に、劣悪な環境下において生き残る可能性も低かったようです。
しかし産業革命が起こって社会が豊かになると、衛生状態や医療体制が良くなり、細菌やウイルスに対する知識も蓄積されていったので、乳幼児が死ななくなっていきます。
そうすると、富裕層は子どもの数に保険をかける必要がなくなったので、養育する子どもの数を減らしていき、一方で貧民層の子どもの数は、死ななくなった分増えていきます。
そうすると、知能が高いと思われる富裕層の子どもが減り、知能が低いと思われる貧民層の子どもの数が増えるので、社会全体としては、人間の知能の平均値が下がって来るというわけです。
そして知能の平均値が下がるということは、いわゆる「天才」が出現する割合も減るわけで、技術的なブレークスルーの数も減り、文明の進化がだんだんと減退していくというわけです。

何だか正直ちょっと嫌な話です。
でも、冷静に考えてみると、確かに理屈的には間違っていない話で、少し怖くもなってきます。
作者はこの本の中で、こうした話の信憑性を科学的に裏付けていくわけなのですが、これがまたなかなか説得力がある話なんですよね。
ギリシアやローマなど、かつて栄華を誇った文明も、この知能の低下によって崩壊したという話は(もちろんそれだけが理由ではないと思いますが)、なかなか読んでいて興味深かったです。

ただ全体的に、ちょっと話を持論に合わせ過ぎているのかなと思うところもところどころにはありました。
冒頭に人類の知能低下の証拠として、コンコルドを挙げていますが、コンコルドがなくなったのは、技術の喪失が原因ではなく、単にインターネットの普及によって、その価値が薄くなり、経済的に見合わなくなったからだと思いますし、現状、今の文明が隕石でもぶつからない限りは、すぐになくなるということも考えにくいとは思います。
まあ、100年、200年の単位で徐々に……というのは、ありえない話ではないのかもしれませんが。

作者は、この話を本にまとめた意図として、耳障りの悪い話だからといって聞かないのではなく、それを知って備える必要があると訴えています。
この手の話は、下手をすると優性論に集約されてしまう話であるので、危険な話だとは思いますが、確かに今に生きるわたしたちは、「考える」必要があると思います。ようするに民主主義が壊れつつあるのだって、こうした話に関連していますからね。

遺伝子に負けないような社会を作るには、わたしたちにはまだまだクリアをしなければいけない問題が山積みです。
文明が壊れるのを待ち、再び人類の知能が上がるのを何百年も待つのも、優性論に基づいて、知能指数が高い人間を優遇していくのも、あまり得策ではありません。
結局は血で血を洗う話になりますし、多くの人が再び生き残れなくなってしまう世界になってしまいますからね。

そうした未来ではなく、教育や民主主義をより強固なものとして、それに打ち勝つ社会構造を作る必要があると思うのですが、それをどうやって具体的にやっていくのは、そしてひとり一人が行動していけるかですね。
どんどんと技術革新が進んでいるのに、知能が実は低下しているというのは、確かにショッキングで信じがたい話ですが、それだけに色々と考えさせられる話でした。