「憂鬱なペンギン」 著 アンドレイ・クルコフ

「憂鬱なペンギン」 著 アンドレイ・クルコフ

90年代に書かれたウクライナ人作家の作品ですね。
一見不思議な印象を残す話です。
個人的には、星新一さんのショートショートを長編にして、さらに不条理さをつけ加えればこんな風になるのかな……などと考えながら読む進めました。

話のキーは、売れない作家が新聞社に生きている人間の追悼記事を書くように求められ、それをこなしていくという点です。
これはなかなか面白いアイデアです。
そのこと自体が何が人を惹きつける不気味さを醸し出しますし、実際に追悼記事を書いた人が亡くなっていくことで、ミステリーとしても引き付けられますからね。

それと、表題にもなっているペンギンの存在もこの物語を特徴づけていると思います。
実際ペンギンは、犬や猫と違って糞尿のしつけが出来ないので人が自宅で飼うことは難しい動物なのですが、そのあたりの事実は横に置いて、物語の軸に絶えずペンギンを据えることによって物語にアクセントをつけています。
ペンギンがいるのといないでは明らかに作品の印象が変わってきますからね。

それにしても、作品を一読して思うことは、この作品はロシアによるウクライナ侵攻を見る前と後では、きっと全然違う感想を持ったんだろうなということ。
恐らく侵攻前に、ウクライナに対する予備知識を何もなしにこの作品を読んでいたら、多分少し風変わりな不条理劇としてしか認識しなかったと思います。
ただ幸か不幸かウクライナのことを色々と知った今この作品を読むと、作品に滲み出てくるウクライナで生活することのある種諦念みたいなものを感じ取ることができます。

作品を読んでいて気づいた人もいると思いますが、この主人公を取り巻くウクライナの社会は、牧歌的でいいなと思う半面で、絶えず見えない暴力に怯えなければいけないという空気感があります。
まあ、ウクライナに限らず、ロシアの影響があった旧社会主義国全体に言えることかもしれないけれど、ロシア的な暴力が何となく見え隠れしているんですよね。
この作品の中にも、不穏な一味が絶えず存在して、彼らが結果的に主人公の生殺与奪の権利を握っているわけなんです。
従えば、奴隷、従わなくては殺される。
ペンギンとの生活の中は、一見のんびりしたもののように見えて、主人公は一歩後ろ暗いものに踏み入れてしまったがために、常に危うさに付きまとわれてしまうんですね。
主人公が疑似的な家族を作ったとしても、そこに幸せを見いだせず、どこか落ち着かないのは、そうした身に迫った危うさがすぐそばにあることを感じ取っているからなんだと思います。

ラストは、人によっては極めて不条理な印象を受けて、何となく釈然としないものが残る人が多いでしょう。
ただそうした不条理を受け入れざるを得ない、社会の病巣がそこまで巣食っているということ、そしてそうした悪とのかかわりにおいて、市民も慣れ切ってしまっており、そうしたあきらめムードのようなものが蔓延しているということを作者は表現したかったのかもしれませんね。

そう考えると、ペンギンが与える印象とは裏腹に、どんよりとした深みを感じさせます。
またそうしたどんよりとしたものの根のようなものが、そもそもロシアからの影響だと考えると、これはちょっと西側の人もしっかりと考えなきゃいけない話だということになってきますね。