安倍元首相、死す。政治家たちの言葉に思う、誰が民主主義を冒涜しているのか?

先週の安倍晋三元首相の銃撃死には驚きました。
まずはご冥福をお祈りしますいたします。

それにしても、安倍元首相の死の後のそれぞれの反応を見て改めて思い知らされるのは、この国の意識における社会分断がかなり深く進行しているという点です。
まず共通認識として相手が誰であれ暴力によって力づくて解決を図ろうとするのはいけません。
ただ当然誰もがそこは納得しつつも、安倍元首相の死に関してその先の反応がわかりやすく二極化しているんですよね。

一つはやたらと安倍元首相の功績ばかりを美化し、その死を悼みつつも讃える態度で、もう一つはその死そのものは悼みつつも、だからといってやってきたことの功罪については冷静に判断し、思うところはあるものの時期を見て余計なことは言わないようにする態度です。
ようするに生前の安倍元首相の主張・信条について肯定的な考えを持つ人とそうじゃない人がきれいに二つに分かれていて、事件後の反応もその通りだったように見えました。

もちろん単純に事件に対してショックを受けた、それが誰であろうと痛むことには変わりないという意見も多く見られましたが、政治的な影響が強すぎる人であっただけに、事件後の反応も参院選が迫っていたこともあってか、何だか通常のテロ事件とは違って、気持ちが落ち着かない、複雑なものになってしまったように思います。
個人的には、亡くなった安倍元総理に対して、亡くなったという事実に対しては、たとえ生前の主張が個々人の考え方と違ったとしても、悼むべきが人としての基本的なあり方であるとは思いますが、その政治的な功罪に対する評価は一時的な感情にとらわれずに、冷静に判断をするべきだと思います。

なので、それぞれがよく考えた結果として安倍元総理の評価を良しとするかダメとするかは、あくまで個人の判断に委ねられるところだと思うのですが、問題は親安倍派にしても反安倍派にしてもお互い議論をすることはほとんどなく、それぞれ似通った考え方のコミュニティの中で自己完結をしてしまっている点です。

民主主義の基本とは考え方が違う相手であっても議論を重ねて共通点や落とし所を探るということなのですが、こと安倍氏の評価をシンボルとした保守派と左派の言い争うについてはかねてから100対0の議論にしかなっておらず、いかに相手を潰すかしか考えていないがゆえに、もはや面と向かって議論をすることもなくなり、お互いに見えないところで 見下しあっているだけなんですよね。つまり思想的な社会分断が根付いてしまっていて、もはや容易に乗り越えられないくらいのレベルにまで来てしまっているんですよね。

確かにこうした社会分断が起こり始めたのは、安倍元首相が二度目の内閣総理大臣になった頃から顕著なってきたもので、そういう意味では、安倍元首相は社会分断を招いた影響力がある人の一人であることは間違いなのですが、ただ100対0の議論をずっとしているのは、左右どちらともで、そうした相手の話を聞かないお互いの態度が、今の状況を招いてしまっていることは確かなんですよね。

奇しくも安倍元首相の死後、選挙戦において政治家の多くが今回の事件について「民主主義への冒涜だ!」と語気を強めて言っていました。
確かに、暴力によって人を黙らせること自体は、民主主義に対するだけでなく、すべての人間に対する冒涜であるとは思います。
ただ個人的に気になったのは、皆が皆、判で押したように語るその似たようなフレズがどこか空々しく感じてしまったことです。

そもそも犯人である山上容疑者の動機は安倍元首相の政治思想への反発ではなく、自らを不幸に追いやった母親がハマった宗教団体であり、安倍元首相がその宗教団体と懇意であると思ったからです。
それが本当だとすると、そもそも山上容疑者がやったことは政治目的ではなく、かたき討ちのようなものなので、「民主主義への冒涜」というニュアンスとは異なってきます。
そして百歩譲ってそれが「民主主義への冒涜」だとしても、そもそもそれを口にしている政治家が「民主主義」とは何なのか、それを「冒涜」することとはどういうことなのか、本当に理解して言っているのか、疑わしく感じてしまうのです。

身体上の暴力によるものだけが、民主主義への攻撃ではありません。
経済的によって、もしくは同調圧力などによって発言を封じることこそも民主主義への攻撃です。
森友問題や桜の会の問題で、最後まで説明責任を果たさなかった安倍元首相のスタンスそのものも、民主主義的ではないと言われても仕方がありません。
そして、徹底的に話し合っていそうで、ちゃんとお互いの話に耳を傾けずに、お互いの攻撃ばかりしている態度そのものも民主主義を攻撃しているといってよいでしょう。

民主主義とは何なのか?
どうすれば民主主義をまともに機能させることが出来るのか?

安倍元首相の死がもたらした問いかけに、わたしたちは全力で考え抜かなければなりませんね。