「課長島耕作」
著 弘兼憲史
名前は当然知っていたけど、ちゃんと読んだことがなかった漫画でした。
30年前の作品ですが、ずっとシリーズが続いているだけあって読ませますね。
作品の節々に作者の弘兼さんがしっかりと様々なことを調べ上げてから描いているので、この時代の大企業のサラリーマンをリアリティーある描写でもって表現していると思います。
単純に漫画としての面白さとともに、その時代背景を後世から読み解く意味でも、非常に資料的価値が高い作品なのではないでしょうか。
ただその一方でしょうがないことですが、時代性をモロに感じてしまったことも事実で、感覚的に今の特に若い人にはどうにもこうにも感情移入がしづらいなと思いところが多々あるに違いないなとも思ってしまいました。
一番はやはり作品中で描かれる社会文化ですね。
特にここで描かれている一昔前の日本の会社文化は、今の視点から見ると、かなり酷い。
団塊世代が中心だった時の話ですが、縦の命令が絶対の組織社会で、そこで作用しているのが合理性や倫理性ではなく、あくまで上司の好き嫌いや政治力であったりと、かなりしょうもない世界だなと思ってしまいました。
もちろん、こうした昭和のやり方を踏襲している企業は未だにたくさんあると思いますが、こういうパワハラ気質というか、軍隊気質を引きずっている会社は、これからの若者に選ばれないことは必須で、こんなことをやってきたから生産性が著しく低い国になってしまったのだと、とても良く分かりました。
まあ、そう考えると、この頃の事情を知るには、本当に資料としてかなり貴重な作品なんですよね。
そしてもう一つ、どうしても気になってしまうのは、島耕作の代名詞ともいうべき女性問題の数々ですよね。
驚くべきは稀代のモテ男である島耕作だけでなく、部長以上の役職に就いている人間は、ほぼ全員愛人がいるのが当たり前で、むしろいない方がおかしいくらいに描かれている 点です(人格者として描かれている中沢部長までもいる)
まあ、それだけなら「この時代はそういうものなのかな」と思えるのですけれど、内容的にどうしても引っ掛かってしまったのは、やはり男性のそうした破廉恥な面を大目に見せるよう、女性も女性で同じくらい淫乱なんだというキャラやシーンが遠回しにこれでもかというほど描かれている点です。
明らかに「どっちもどっち」的な雰囲気を作品の中で醸し出すことによって、島耕作の女性遍歴だけでなく、男性そのものの女性に対する差別意識とか、不均衡といったものをまるでなかったように誤魔化しているように見えてしまってます。
男性読者が大半である「モーニング」で連載されていたものなので、商業的に読者である男性に「後ろめたさ」を感じさせないための商業的な措置だと思いますが、後の世代からこうして見てみると、やはりこうした部分は「古く」感じてしまうことは否めないなと思ってしまいました。
別に、確かに愛人を囲う経済人はたくさんいたことは事実であろうし、パワハラ・セクハラも当たり前だったのも事実であったのも事実であったと思うので、それを描くこと自体はむしろ時代性を描くという意味でも意義があるとは思うのですが、どうしても男性誌に男性の作家が描いているので、そういった部分は男性優位の描き方になってしまっていますね。
それが如実に現れているのが、かつての部下であった今野課長のセクハラが露見するエピソードだと思います。結果的にメールボンド的な馴れ合いで、本来ならクビになっても仕方がないところを地方に左遷されることもなく、本社の別部署に異動という玉虫色の裁定で誤魔化されている。
この裁定自体は、この時代にあってむしろリアリティがあると思うのですが、残念に思ったのが、主人公である島耕作自身も、自分が告げ口のような真似をしてしまったから、今野課長は異動せざるを得なかったと悩んでしまっているところです。
島耕作の優しさを表現したかったのかもしれないんですけれど、明らかに悩むポイントがズレてるんですよね。行為からみても、今野課長の措置はむしろ寛大すぎる話ですし、そもそも被害に遭った女性たちのことをもっと思い悩んであげるべきではと考えてしまうのです。
そこをまともに考えれば、今野課長の大甘な措置で悩むという発想は生まれないはずで、むしろ怒りを感じる方が普通だと思います。
ただここで悩んでしまう点が、逆に言えば島耕作が島耕作たるゆえんで、この時代にあってこの漫画の限界なのかなと思いました。
ようするに島耕作はどこまで行っても普通のサラリーマンであって、決してサラリーマン金太郎ではないのです。つまり、あくまで組織の命令に従順ですし、組織や上司が倫理的に同じなことをやっていても、多少の良心の呵責はあっても、とにかく命令通りに仕事をやり遂げることかそが正義であるのだと信じて疑っていないのです。
一体それの何が悪いのか?働くとはそういうものではないか?そういう反論をする人も多いでしょう。ある意味で正しいです。でもそれは、会社人として正しいだけであって、人として正しいかどうかは非常に微妙です。
それは島耕作が猛烈に仕事人間であった結果、彼に密に関わった人がどうなったのかを見ればわかります。
分かりやすいところで、彼の家族は崩壊します。妻に不倫をさせることで、何となくどっちもどっち的な雰囲気を作っていますが、そもそもなぜ妻が不倫に走ったのかその理由を考えれば、それはやはり島耕作の生き方に遠因があるのは間違い無いです。
そのほかにもアメリカのアイリーンや京都のかつ子のように、大人の恋ということにいかに美しく描かれながらも、実際それは島耕作目線の話であって、冷静に考えると、結構酷い話も多いんですよね。
主人公だけに、いかにこの当時の島耕作の生き方、つまりは団塊世代の生き方を肯定的に描くのかということに焦点が置かれているのですが、ただやはり後の世代の人間から見ると、島耕作の生き方には共感を出来ないどころか、正直ちょっと頭にくるところもあります。
まあ、彼個人が悪いというわけではないのですが、この世代、結局は色々と社会や組織に風土において問題が何であるのか、ハッキリとわかっているくせに、黄昏ているだけで、根本的な解決を何もしていないんですよね。
たぶん、連載当時は、この作品を呼んでいたのは、島耕作と同世代かちょっと下のバブル世代くらいまでの人たちであって、こうした「現実は大変だけれど、社会に出て働くっていうことはこういうことだなって」一緒になって思えたと思うんです。
それでも給料は良かったし、社会的地位が頑張ればそれなりに上がるという時代でしたからね。
だから、「島耕作」は、ちょっとモテすぎるけれど、等身大の自分たちの姿として受け入れられたんです。
でもそれよりも下の世代からしてみれば、この世代が根本的な問題、つまりは家父長的な生産性のないやり方を放置していたせいで、今の日本が斜陽があり、働いても給料が上がらないという現実があるのですから、受け入れられないんですよね。
これほど世代によって感じ方のジェネレーションギャップを生む作品も珍しいと思います。
まあ、それだけ当時のリアリティをよく考え抜いた作品だからこそだとだと思いますが。
とにかく、この作品、当時の日本を物語る上で、この上なく良質でわかりやすい資料であることは間違いないですね。
逆に言えば、今生産性の悪さに悩み、自社の改革を考えている企業のトップには、この作品を読めば、日本の会社組織の何が悪いのかが今となってはよくわかる話だと思うので、ぜひ読んでもらいたいですね。