「滝山コミューン1974」 著 原武史

「滝山コミューン1974」 
著 原武史

戦後、高度成長期に西武線沿線では数多くの大型団地が形成されたんですね。
元々、所沢に近い清瀬や秋津には結核のサナトリウムなどの病院施設が多く、共産党をはじめとする革新勢力が強い地盤だったんです。
そんな地域に作られた団地は、その均質的な空間のせいもあり、自然と革新勢力の思想が当たり前のものとなっていきます。

実際、団地の自治会などの役員は、共産党党員が務めることが多いわけですし、辺り一帯の交通や流通などを支配していた、西武グループに対抗するうえで、団地住民は連帯する必要もありましたからね。
そして、そうした連帯感は、団地の子どもたちのために作られた小学校にも伝染していきます。
この本は、幼少期にその小学校で過ごした筆者の体験をもとに、あの時代に、その場所で行われたあの教育は何だったのかと問いかけたものです。

筆者の通う東久留米市立第七小学校に、片山という団塊世代の若い教員が赴任してきたときから、話は展開していきます。
当時の安保闘争の勢いそのままの風潮の中で、片山は極めて社会主義的な全生研が唱える「学級集団作り」を実践していきます。
つまり学級を民主的集団———民主集中制を組織原則として、単一の目的に向かって統一的に行動をする自治的集団———に作り上げていくという話なんですが、現代の今のわたしたちの視点からすると、ちょっと気持ちが悪い話ですね。
ここでは集団に反する個人の主張などは封殺されるわけですから、ようするにソ連や中国、北朝鮮などの社会主義の国の思想そのままの教育が、小学校で実践されていたわけなんです。
片山のクラスを中心に行われたこうした取り組みは、やがて学校全体を巻き込んでいきます。
PTAも片山と連携し、ほかの教員たちも止められません。
筆者は片山のクラスの子どもではなかったものの、林間学校などの学校行事がすべてこうした片山の目指す「学級づくり」に根差して行われていったことに辟易し、拒否的になっていきます。
最終的に、著者は同じクラスの級友から、共産党国家さながらの「追及」を受けることとなり、その閉塞感からの脱出ばかりを考えるようになるわけなんですが、この著者の当時の気持ちはよく分かりますね。
確かに、こんな学校生活はイヤです。
実際に、片山の手足となっていた彼のクラスの子どもも、今となってはトラウマになっているという告白しているように、一体そうした教育が誰のために行われているのかわからず、大人のエゴを子どもに押し付けているだけという印象しかないですよね。

時代の空気があったとはいえ、戦後からすでに久しい1974年というときに、このような教育がなされていた場所が東京にあったという事実に驚かされました。
イデオロギーを教育に押し付けてはいけないという典型的な例ですね。
左でも、右でも、どんな思想であっても、教育で大事なのは自分の頭で考える力を養うことであり、自分たちの都合のいい人間を量産することではないのですから。

著者は聡明な人で、小学生という年齢でありながら、この矛盾というかおかしさに気が付き、結果的にそれを拒絶して、その地域の空気から離れるべく中学受験をすることで距離を摂ることが出来ました。
ただ誰もがそうであるわけではありません。
その空間しか知らず、それが当たり前のものだと思っていれば、こうしたイデオロギッシュな教育に子どもが染まってしまうのは、当たり前のことなんですから。
そこにこの話の恐ろしさがあるんですよね。

そしてこうした教育を行っている国がこの世界にはたくさんあるというのも事実です。
そういう意味でも、色々と考えさせられる本でした。