https://news.yahoo.co.jp/byline/iizukamakiko/20190316-00118367/
日本でも最近、青山学院で口利きの話があったのではないか、とニュースになっていましたね。
まあ、アメリカほど大々的ではないのかもしれませんが、日本でも「ない」とは言い切れない話だと思います。
この手のニュースって、どうも自分には関係がないように思われがちですが、これって本当は結構一番大事なニュースだと思うんですよね。
昨今、日本でもアメリカのように格差社会になりつつありますが、格差を固定化しているのは、間違いなく子どもへの「教育」です。
つまり、例えば、アメリカのハーバード大学のロースクールで学ぶためには、一年間で一千万近いお金が必要だと言われていますが、これって、普通の家庭が払えるっ金額じゃないですよね。しかし、お金がある家庭の子弟は、そもそもこうした教育機関に入れるだけの教育がされていますし、もちろんお金もあるので、そこに入るのが当たり前といった環境に生まれたときからいることが出来ます。そして、こうした教育機関に身を置けば、それだけの教育を受けるだけでなく、今後の人生を大きく左右するためのコネクションが出来るのです。
日本でも、アメリカほど派手じゃなくても、有名私立大学の付属校にはそもそもそれなりの稼ぎがないと入れませんし、また私立大学の医学部にかかる学費などを考えてみても、運よく大きな奨学金でももらえない限りは、普通の稼ぎの家庭の子が入学するには金銭的に大変難しいです。
日本にしろ、アメリカにしろ、大抵の場合は、形の上では、成績さえ伴えば、誰もがどの教育機関に入学することは出来る仕組みになっております。
民主主義の国家を標榜している以上、表面上はそう取り繕わなければまずいですし、実際にお金がなくても、どうにか頑張ってそうした教育機関に入っている人もたくさんいるでしょう。
でも、やっぱり結果的に一部の金持ちばかりが優遇されるような形で、教育を受ける機会を得られるというのはちょっとおかしいと思うんですよね。
別に資本主義そのものを批判するわけでも、私立の教育機関を批判するわけでもありません。
ただ、教育機会の均等はより高いレベルで実施されるべきだとは思います。
そんなに言うのなら、国公立に行けばいいと短絡的に批判する人もいると思いますが、話はそんな簡単なものじゃありません。そもそも、お金持ち子弟たちばかりが、高等な私立の教育機関に金銭的に入りやすく、またそうした子どもたちがその後の人生において、そうした教育機関に在籍したことで色々と優遇されやすいという構造そのものが不均衡だという話なのですからね。
単純に、助成金などでこれらの不平等を解消することは少しは出来るかもしれません。
ただ問題はそうしたお金の問題だけじゃなく、学歴編重の意識とシステムを変えていく必要があるのだと思います。
まず、大学が一番だという考えを捨てること。
大学はそもそも企業に入るための予備校ではなく、そもそもは学者になるための場所ですからね。
特定の大学に入ることがステイタスであり、「学閥」中心に物事を考えるのではなく、あくまでその企業にとって、必要な知識や能力を持つかどうか、またその企業の社風にその人が合うかどうかで、人を選ぶべきです。
本当に使える人であるならば、東大や慶応である必要は必ずしもなく、たとえ大学を出ていなくても、それだけの能力とその企業に合った人柄があれば問題ないわけですから。
それに、専門知識を持った人が一番であり、そうした人が富や名声をすべて持っていくようなやり方を少しずつでも変えていくこと。
これは、医者の例をあげるのが一番わかりやすいかもしれません。
現在は、医療界は医者を頂点としたヒエラルキーで物事の全てが動いていますが、医者しか出来ないことを減らしていき、より看護師や技師さん、事務員などでも出来ること、その権限を増やしていくことで、こうした体制を整えていくことは必要だと思います。
いわゆるコメディカルという発想をより大きな形で実現していくべきだと思うんですよね。
実際に、医者が仕事を抱え込み過ぎて、にっちもさっちも行かなくなっているケースも多いわけですから。
医者の仕事の一部を他の人でも出来るようにする。その代わり、医者が貰っていた賃金の一部は、当然肩代わりをした人に与える。
そうすれば、医療界を目指す人の誰もがこぞって医者を目指すわけでもなくなり、その中で様々な職種を選んでいくことになる訳ですし、医者の負担もより減って、研究等の仕事に打ち込める時間も増えると思うんです。
ようするに、有名大学を出て、地位や名誉を勝ちとるような一部の人々たちだけが潤う社会を作るのではなく、出来る限り責任や負担を分担し、その分、賃金もならしていくのがいいと思います。極端な格差社会であるよりも、そうした社会の方が健全ですし、教育とは本来そうした社会を作るためにあるべきでありますからね。