アメコミ映画の主人公になれない日本人

https://www.sbbit.jp/article/cont1/36447

なぜアメコミ映画が日本人にはウケないのかという記事でした。まあ、アメリカ映画はこうだからとか、対して日本映画はこうだ、という断定は基本的には出来ず、いまやグローバリゼーションはそういった作品に対しても浸透して影響し合っているので、断定はできないものの、これまでの傾向として、確かに記事の言う通り、アメコミ作品の主人公には成人男性が多く、日本の漫画やアニメの主人公には少年が多いというのは事実であるとは思います。
この場合、世界的見れば、個人的にはアメリカというよりは、ヒーローを少年にしがちな日本の方に特殊な事情があるような気がするんですよね。
あくまで、個人の感覚に過ぎず、すべてが当てはまる話ではないのですが、日本の場合、漫画が一般的になってきた戦後は、高度成長期と重なっており、高度成長期とは大量のサラリーマンを生み出してきた時代でした。つまりは、成長し続ける会社の中で、成人男子たちは、とにかく利益をあげるために24時間闘い続けてきた時代です。そこに倫理や正義はもちろんあったのでしょうが、それよりも豊かになることこそが命題だった時代であったと思うんです。
まあ、今でも会社勤めをしている多くの人は感じていることでしょうが、バカ正直に生きるよりも、会社の中で適当に折り合いをつけてどうにか生きていくのが日本の大人のあるべき姿なのだと社会的に思われていたんですよね。もちろん、アメリカやそのほかの国でもそういった感覚はあるとは思いますが、終身雇用制が染みついて、組織に服従することこそが生きる道であるという日本において、そんな大人が正義を体現するヒーローになるということはそもそも想像しづらいことなんですよね。
なので、ヒーローにするのなら、そんな大人になる一歩手前の少年にするしかなく、少年は、正義だ何だと言ってられない大人に対するアンチテーゼ役を背負わされてしまいます。
そこに、少年ジャンプの興隆期がきて、少年だけが世界を変えられるという世界観が固定化されてしまったんですよね。
なんか、その状態からまたしばらく経って、今に至るという感じなのですが、アメコミ映画の主人公のように社会に抗うことが感覚的に難しい日本人の大人、つまりは会社の慣例にすら公に口にすることが出来ない日本人の大人には、なかなか組織を改革することが出来ず、イノベーションを起こすことなど考えられないというのも、何となくわかる気がします。ただ少年時代の幻想だけを追っているだけになっちゃっているんですよね。

何でもかんでもアメリカの真似をする必要はないと思いますが、確かに日本人の特に成人男性は、ちょっとその辺りのことを考えた方がいいかもしれません。まあ、つまりは会社の言うことをそのまま聞くのではなく、自分が正しいと思うことは会社にビシッといえるくらいの大人になれという話なのですが。

単純にね、ちゃんと意見を言う人が増えた方が、会社にとってもプラスになると思うんですよね、特に今のように変化の激しい時代では。