「掏摸」 著 中村文則

「掏摸」 著 中村文則

押し潰されるような、どうしょうもなく暗い、暗い世界。
スリと彼が巻き込まれる裏社会の深部の一端を描いたこの作品は、現実の暗部を文学に昇華させて描くことを特徴とする中村文則さんらしさがよく出ている作品だと思います。
重厚な文章でありながらも、どんどんと読者を物語に引き込むのは、中村さんの力量にほかなりませんね。

そして、芥川賞を獲った「土の中の子供」あたりのころは、世の中の不条理さに対してもがき、そこに光をどうすれば見出せるのか、といったところがテーマだったのに対し、本作ではそれがさらに進んで、世の中の不条理に対する中村さんの明確な嫌悪感を感じることが出来ます。
一見どうしょうもないくらいの悪の巨大さに打ちのめされそうになるのですが、そこには、悪を描き切ることでしか、描けないことがあるという作者の確固たる覚悟があるわけですね。
これは、書いていて作者はかなりしんどい思いをしながら書いているな……ということを想像させます。
ただ作者としては、書かざるを得ないから書いている。
そこを書いていかないと、それはそれで自分自身と向き合えないんだということを、まるで自分が自分であることを証明するかのごとく、作品にぶつけているんですよね。
作家らしい作家さんの描いた話だと思います。

作品を読んで個人的に気になったのは一つ。
スリを主人公にしている時点で、どうしても主人公自身もダークサイドの住人になってしまいます。
実際に主人公はスリだけでなく空き巣や万引きなど軽犯罪の常習犯であるので、普通に考えればなかなか一般的な読者は感情移入が出来ません。
それに対し作者は、読者がそんな主人公に対して感情移入出来る様に工夫を凝らしています。

金持ち相手しかスリをしない。
スリをしてお金をとったあと、それ以外のものは、ポストに入れて持ち主に返す。
自分と似たような境遇の子どもを救おうとしてしまう。

などというエピソードがそれにあたりますし、文体においても主語をセリフにおいては「オレ」とし、地の文では「ぼく」とするなど使い分けていることなどもそれにあたるでしょう。
「オレ」は、生まれ育ちの不遇さから世の中の不条理に飲み込まれ、犯罪をしながら生きるしかない自分であり、「ぼく」はそんな「オレ」の生き方に対して諦念しながらも疑問に思っている良心です。
こうした巧みな設定の上にさらに木崎という絶対悪が現れるので、読者としては自然に主人公に感情移入をせざるを得ないように仕組まれているわけですね。

誤解のないように言っておきますと、わたし自身はこの仕掛け自身は悪いとは全然思っていません。
中にはそうしたやり方にあざとさを感じる人もいるかもしれませんが、そうした仕掛けによって、市井の人がこうしたダークサイドの世界観を違和感なく知ることが出来るというのなら、これはこれで一つのやり方だと思うし、これを否定されてしまえば、そもそも創作そのものが難しくなってしまいますからね。

個人的に引っかかったのは、そうした仕掛けの是非ではなく、ダークサイドに染まる「オレ」とそれを客観的に見つめ、良心を残す「ぼく」とを分けたのなら、なぜ主人公の精神性がそうして分裂しているのか、つまり不遇に育った主人公がなぜ一片の良心を持つようになったのか、そこをもう一歩踏み込んで書いてほしかったなと思ってしまったところです。

簡単なようなかなり難易度の高い要求かもしれませんが、それだけ力量のある作家さんだと思うので、ダークサイドの描写だけに留まらず、そこに踏み入って欲しいですね。
そこを十分に描ければ、ドストエフスキーに近づける可能性のある作家さんだとも思いますからね。
この作品には、姉妹編となる作品があるそうですが、絶対悪に対して、さらに作者がどのような描き方をするのか、ぜひ読んでみたいと思いました。