「カムカムエヴリバディ」安子編を見て、安子に対して批判している人に考えてほしいこと

いやあ、怒涛の展開の中で終わってしまいましたね。
「カムカムエブリバディ」安子編。
3人の女性のリレーによる朝ドラですが、一人目から色々と物議を醸しだしています。

端的に言うと、結果的に娘であるルイを棄てる形でアメリカ人と一緒になり、アメリカに行くことを選んだ安子に対して、批判的な視点で見ている人が多いのですが、何だかそれらのコメントをみているうちに、「ああ、やっぱり日本人の意識はまだまだ家制度に縛られているんだな」と思ってしまいました。

まず途中から安子に感情移入が出来なくなったという人が多いですが、個人的にはそんな風には感じませんでした。
むしろ不条理な家父長制によって常に犠牲になっている安子を不憫に思いましたよ。
「ルイを棄てた安子は酷い」といいますが、そもそも安子はルイを棄てることを望んでいませんよ。
むしろそう差し向けられていたと言っても過言ではないでしょう。

差し向けたのは、張本人は雉真千吉です。安子の夫の父親にあたる人物です。不思議なのは、安子やルイに批判が集中する中でほとんどこの人物に批判が向かないという点です。
確かに声を荒げたりすることはなく、決まって紳士的な態度を取るこの人物は、一見とてもいい人に見えます。でも物語のなぜを紐解いていくと、大抵の話がこの人の考え方に起因していきます。
稔の死が分かったあと、安子が雉真の家から出ざるを得なかったのは、稔の母親の安子に対する当たりが強かったからですが、千吉はそれに対して有効な手立てはしませんでした。
安子がルイに怪我をさせたのも、安子の不注意とされていますが、そもそも安子がそこまで働かせたのは、千吉の精神的な追い込みがあったからです。
一度は戻った雉真の家から安子が出て行かざるなくなったのも、もとを正せば千吉が勇に安子と一緒になるようにけしかけたからです。

そんなのはこじつけだと思う人も多いと思います。実際千吉の行動のほとんどには悪意はなく、みんなのことを思ってやったことなのですからね。
でも、この「悪意なく、みんなのことを思って」というところが問題なんです。

千吉は安子やルイが何をすれば幸せになると彼女たちの気持ちを鑑みて考えているわけではありません。彼の頭にあるのは常に「雉真の家」であり、それを維持することこそがみんなの幸せであるという自己肯定感です。
口当たりよく、安子に接しますが、彼が彼たる所以のこの考えから外れるということはなく、だからこそ「雉真」の家が認められる中でしか安子の行動を許さない(雉真の血を受け継いだルイが和菓子を売り歩くことを禁じる)わけですし、ルイにとって母親の存在よりも雉真の財力の方が必要なのだと言い切るわけです。店の再建に目処がつき、ルイを連れて行くことを懇願する安子に対して、ルイの傷の治療費の話でもって半ば脅迫に近い形で、安子を力強くで引き下がらせたあたりに、この人物の本音が垣間見れますね。

もちろん千吉の言い分にも一理はあります。お金はないよりあった方がいいこともありますし、祖父だからこそルイの生活や教育に力を入れたいという気持ちも分かります。
ただ千吉はあくまで雉真の家の体裁が第一であり、ルイに母親が必要だという考えも恐ろしいくらいに想像が出来ないという点は、この時代の男性だからしょうがない、という話ではないでしょう。
ここまで話すと分かりますが、そもそもこうした考え方が、「しょうがないもの」として扱われることがおかしい、ということにこの物語の裏テーマがあるのでしょうね。

安子の運命を見渡せば分かりますが、彼女は普通の幸せが欲しかっただけなのに、常に家父長制的なものに彼女の希望は砕かれます。
稔を奪った戦争は、家父長制の上に乗っかった男性たちの争いの故です。
間接的に安子を追い詰めることになった「雉真の家」も典型的な家父長制を敷いた家です。
家父長制は女性たちを苦しめている。
女性たちだけでなく、一部の特権的な男性以外の男性も苦しめている。

さすがにこの時代に比べればその濃度は薄くなったものの、現在でも家父長制に乗っ取った支配は社会の至る所にあります。
今年のオリンピック開催時に森元首相の失言問題なんかは記憶に新しいですね。
それだけでなく、会社に勤めている人は、それぞれの企業風土なんかを考えてみてもそれはわかると思います。
SDGsなどが叫ばれるようになって、それがダメだということは認識されるようにはなっているものの、パワハラセクハラなどがまだまだ当たり前の人や企業が少なからず存在していることも残念ながら確かでしょう。

三人の女性を主人公にすることによって、時代の変化を語り、その中でそうした家父長制への疑問に徐々に気づいていく。
それがおかしいと、これまでがおかしかったのだと気づいていく。
おそらく物語は、そういう方向に進むでしょう。

すでに大人になったルイは、「雉真の家」と縁を切るつもりで、母親に対して拒否感を持つとともに、家父長制の濃い「雉真の家」とも一線を画そうとしています。
まだルイは精神的にはもやもやの中にいるでしょう。
おそらく今後ルイは安子の兄である三太とどこかで再会し、なぜ母があのとき大阪に行かなくてはいけなかったのか、なぜ雉真の家を出なければいけなかったのかと言うことを知るという展開になることが予想されます。
当然、ルイには後ろめたい感情が湧き起こり、それについて考えさせられるでしょう。
その気持ちを、どうやって自分の娘に伝えていくのか。
そしてその娘が現代社会において、祖母や母を苦しめた家父長制に対してどんな態度をみせるのか。
時代が異なる三人を主人公にする意味がここにあるんですね。

安子編のラストは物議を醸しだしていますが、明らかにこうしたテーマに対する伏線ですね。
安易に安子の行動だけを批判するのではなく、彼女を追い詰めた社会そのものの在り方が本当に正しかったのか?
そして、それが自分たちの問題とも重なっているのではないか?
ルイやその子供はこれからそうした自分たちの問題について何を悩んでいくのか?
そうしたことを考えなら、ドラマを観てほしいなと思います。

いやあ、なかなか奥が深いドラマだと思いますよ。これ。