蛮行を行うロシア兵と、実は多くの人が同じようなメンタルで日々を過ごしているという現実

ロシア兵が「残虐行為」に走ったのはなぜ? ナチスとの共通点を心理学で解き明かす

戦争の心理状態を話ですね。
戦争という特殊な状況が人の精神状態をおかしくさせてしまい、普段ならしないはずの暴力行為を簡単にするようになってしまって、普通の人が悪魔のようになってしまうというという話です。
ナチスドイツのアイヒマンの例が話されていますが、いわゆる上からの命令をそのまま聞いてしまう凡人の罪というやつです。
わたしたちは言われた仕事をしただけ、だから悪いのはそれを命じた人間であって、自分は悪くないという理屈です。

確かに各種の残虐行為において、一番悪いのは、そもそもそれを引き起こす人や組織です。
ただそれを実行しなければいけない立場に置かれた人間が、無実なのか?と言われれば、やはりそれは違うんだと思います。

分かりやすく言えば、たとえばプーチン大統領のやっていることがおかしいとして、じゃあ、ロシア国民がまったくの無実かと言われると、それはやはりちょっと違っていて、突き詰めて考えていくと、いくら恐怖政治の中とは言え、プーチンを支持し、彼に対して何も言わない、行動を起こさない、のはそれはやはりプーチン大統領のやっていることを黙認してしまっていることと同じなんです。

ハッキリ言ってしまえば、「考えない」という選択肢を選んでしまっていること自体は、罪なんだと思います。
社会のこと、世の中のことを何も考えず、目の前の自分のことにしか目がいかない。
それでいて、社会情勢の悪化が自分に降りかかれば文句を言い、でも、直接の上司などに対しては、ダンマリを決め込み、ただ命じられたことを淡々とやっていく。

戦争という状況では、確かにそれが顕著に現れます。
やるかやられるか、の状況に置いては、とかく人は自分のことを正当化出来るからです。
でも、いくらその場で自分自身で正当化出来たことも、後から見て、他人が正当化してくれるとは限りません。
情状酌量はしてくれたとしても、罪は罪なんです。

そして、この理屈は実は日々のわたしたちの生活にも当てはまります。
例えば、会社において、組織や上司の言う通りに従って、派遣社員や請負社員に対して必要以上に厳しく当たる。
ありがちな構図ですね。

ロシア政府 ⇒ 上官 ⇒ 兵士 ⇒ ウクライナの民間人
会社組織 ⇒ 上司 ⇒ 担当者 ⇒ 立場の弱い派遣社員や請負業者

そしてこの強者から弱者への上から下への流れはロシア兵の話とまったく符合します。
もちろん、普段わたしたちは、人を殺したりはしません。
でも、支配関係という構図は、日常か非日常かの違いがあるだけで、実は同じなんです。

そして多くの働いている人は言います。
「上司の言う通りだからしょうがない」
「会社ってそういうもんでしょ」
「社会で働くというのはそういうこと」

当り前のように、むしろそれが倫理でもあるかのように、自分が「考えていない」ことを棚に上げて、自分たちを正当化します。

「ロシア政府の言っているのだからしょうがない」
「戦争ってそういうもんでしょ」
「戦火にいる弱者とはそういうもの」

ロシア兵がそんなことを言ったら、おそらく世界中の人は怒るでしょう。
でも、わたしたちは、そんなロシア兵と規模の差こそあれ、同じような支配関係を考えずに、社会的弱者に与えている可能性があるのです。

「働いて、生きるためには仕方がない」
「そんなのは理想論だ」

自分の中に生まれる後ろめたさに耐えられずにそう反論する人も多いと思います。
でも、自分がおかしいと思うことに対して、それをおかしいと言わないということは、やはり罪なんです。
「考えない」ことをみんなが選んでしまえば、強者はどんどんと勢いを増していき、社会は彼らがやりたいように支配されてしまうだけなんです。

わたしたちの社会を変えられるのも、わたしたちの社会を支えられるのも、わたしたちが考えた末の言葉を発してはじめて成し遂げられます。
まずは自分で考える。
そのために偏った情報に依拠せずにたくさんの情報を見る力を身につける。
そして、相手が誰であろうと、自分が違うと思ったことをちゃんと伝えられる勇気を持つ。

本当に戦争をなくしたい、本当に経済格差をなくしたい。
そう願って、社会をよりといものにしたいなら、わたしたちがまずしなければいけないことは、一人一人が自分の力でちゃんと考えられるようになることだと思います。