「近代日本と石橋湛山 『東洋経済新報』の人々」 著 松尾尊兊

「近代日本と石橋湛山 『東洋経済新報』の人々」 

著 松尾尊兊

石橋湛山のことはもちろん知っていました。

ただ戦前からリベラルな思想を持っていたこと、首相を経験者であることなど知っていることはどれも漠然としたもので、正直詳しく知っていた訳じゃありませんでした。

今回、石橋湛山と彼が政治家になる前に代表を務めていた東洋経済新報の人々の大正デモクラシーから戦中、戦後にまつわる話をこの作品で読んで衝撃を受けました。

ていうか、東洋経済新報すごすぎ。

東洋経済といえば、雑誌「東洋経済」や四季報で有名で、若い人は「東洋経済オンライン」というネットニュースでおなじみだと思います。

そうです、あの東洋経済です。

東洋経済は、昔は東洋経済新報といって、かの有名な石橋湛山を輩出しただけでなく、戦前・戦中を通して日本のメディアの中で唯一と言っていいくらい、帝国主義に反対していたメディアだったんですよね。

驚いたのは、石橋湛山が一人目立っていたわけではなく、実は自由主義・反帝国主義は東洋経済新報という会社そのものテーゼであったわけで、石橋湛山はここで揉まれて育ったというわけなんですね。

石橋湛山だけでなく、前の代表である三浦銕太郎や植松考昭を知ることは出来たのは大きいです。非常に勉強になりました。

それにしても、石橋湛山も三浦銕太郎も戦前から帝国主義に反対していただけなく、普通選挙の実施を要求し、しかも最初から女性の参政権を認めるべきだと言っていたんですね。

良妻賢母をこの時代に否定し、経済的に女性は自立するべきだと訴えていたという話ですから、かなり進んでいたんですね。

しかも反帝国主義についても、この時代から朝鮮や満州など植民地をすべて放棄せよと訴えていたわけですから、ホント筋金入りです。

ていうか、なぜ検挙されず、生き残れたのかが不思議ですらあります。

まあ、経済誌であり、一般的な読者が少なかった故に、東大教授であった吉野作造などと比べるとそれだけ官憲のマークが緩かったようですが、こうした思想をする人々がいたということと、彼らが生き残ったということは非常に大きかったですね。

戦前・戦中の東洋経済新報に日本メディアの良心を見ました。

こういうメディアが当時あり、そして現在もあるということはもっと知ってほしい話ですね。