見過ごされがちの未就学児間の虐めに社会はどう対応すればいいのか。

「言っても無駄だ」法を理由に調査拒まれたいじめ 保育園児が失った時間

性同一性障害をもった未就学児が保育園で虐めに遭っているものの、園も行政も全然動いてくれなかったという話ですが、これは何となく実感としてわかります。
わたしには今、小学一年生と保育園通う年長の二人の娘がいますが、友達間のトラブルについて小学校はある程度話を聞いてくれ、解決に向けて少しは動いてくれるものの、保育園はほとんど動いてはくれないんですよね。

もちろん自治体や学校、園、担当の先生などによっても違いはあると思いますが、基本的に友達間のトラブルについては、小学校と保育園とは考え方に大きな違いがあるように感じます。
小学校では、ほぼ大人社会に向けてそうした歪んだ関係性について、それがすでに生まれていることを前提に対応してくれているのに対し、保育園では友達間のトラブルは、まだ物がわかっていない子どもがやっていることだからある程度しょうがないという見過ごすことを前提な対応になっているような気がしてしまうんですよね。
確かに未就学児の子どもたちがよくわからないこそ、異質な他人を攻撃してしまうというのはわかります。
でもまだわかっていないからしょうがないじゃなくて、わかっていないからこそ、丹念に園も親もいじめをしてしまっている子どもに教え込む必要があるんだと思うんですよね。

まあ、保育園からしてみれば、何がいじめでなのかわかりづらく、何でもいじめとなってしまえばそれこそマンパワー的に対応など出来ないというはわかります。
実際に記事にあるようなケースはレアな話ですからね。
ただレアだからこそ我慢しろというのは違うと思いますし、そもそも保育園の中で友達間のトラブルということに関しては、もう少しその当該の親も含めて解決が出来るような仕組みはあってしかるべきなのではないでしょうか。

保育園ではまず小学校に比べて月齢の差による成育差がどうしてもあるので、この時点で友達間で上下関係が生まれやすいです。
さらに子供にとってロールモデルが基本的には親しかないので、親が縦の関係で人と関係性を築く傾向にある人だと、子どももそうした縦の関係でしか友達との関係を築けない傾向が強くなり、トラブルが起こりやすくなってしまいます。
まだ未熟だからと話を簡単に済ませてしまうのは簡単ですが、間違いなくこのころから子供はすでに社会的な生き物になっており、まだ本人も未熟で、親もまだ子どもが未熟だという認識があるこのときのうちにこそ、しっかりと虐めのような上下の関係を築くことはダメなんだという認識を持たせることが肝要なのではないでしょうか。

保育園からしてみれば、そんなこと言われても無理だと言いたくなるのはわかります。
そもそも保育園はその管轄が文科省ではなく、厚労省で、教育が主な理由である幼稚園と違い、あくまで子どもを預かること自体を名目として作られているので、現状の設計のままでは保育園が対応出来ないというのは仕方がない部分はあるんですよね。

でもすでに人手不足から共稼ぎが当たり前の社会となった今、保育園の設計そのものを変えていくのは避けられない事態にはなっています。
保育園の割合が圧倒的に増えている中で、保育園における幼児教育が求められていくのは当然の流れです。
行政はわかりやすくお金にならない分、幼児教育というものを舐めているフシがありますが、今、色々な専門家も言うようになっていますが、むしろ幼児教育こそが大事だという意見も多数あるんですよね。
とにかく保育に対する財政支出は全然足りていないです。
昔を基準にすれば、これでいいだろとお役所や政治家のおじさんやおじいさんは言うかもしれませんが、もはや時代が保育園ありきで設計しないと社会が成り立たないようになっているんです。
保育園を増やすこともそうですが、保育園の質を高めることも大事です。
そのためには保育士への給料の底上げもそうですが、保育士だけでなく、虐め等に対応できる人材を専門資格として、そうした人材を雇うと助成を上乗せするといった仕組みを新しく作る必要があるのではないでしょうか。

保育園の中でいじめがないというのは、問題を小学校に送りにしているに過ぎません。
そもそも年長くらいの年になれば、「ない」と言い切ることなんて出来る訳ないんですよね。
「ない」と言ってしまえば楽だからではなく、「ある」ことを前提に保育園というものを今の社会状況に合わせる形で変えていってほしいですね。

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