「デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義」 著 福田直子

「デジタル・ポピュリズム 操作される世論と民主主義」 
著 福田直子

恐ろしい話ですよね。
2016年のアメリが大統領選挙でトランプ大統領が誕生して以来、ソーシャルメディアが政治的に利用され、それによって意図的に民意の誘導がなされ、民主主義が危機に陥ってきているというのは、何となく自覚し始めている人が増えてきていると思います。
ただこうしてその状況を詳しく見てみると、事態はみんなが思っているよりもずっと深刻で、今が民主主義の正念場だということがよくわかりますね。

問題なのはビックデータが金儲けのためのツールになっていることが多く、それに対してほとんど何も規制がないという点に尽きると思います。
さらにこれが政治的にも利用されつつある状況であることについては目も当てられませんね。

コロナ禍で苦しむ中で、日本でも考え方による社会的分断が顕在化してきましたが、皆が良く考えなくちゃいけないのは、分断が自然発生的に生まれたのではなく、実はその多くが一部の人たちによって意図的に起こされているというところです。
人々の不安を煽ることによって、自分たちの主張がいかに正しいのかということを声を大にして主張していく。
それが事実に基づいたものではなく偏見に過ぎないにしても、感情を煽ることであたかもそれが民意なのだという錯覚を他人に対して起こさせていく。
まさに民主主義の破壊としかいいようがないのですが、自分たちが得をするならそれでも良しとしている時点で、どんな思想であれ(右でも左でも)、こうした戦略をとっている人は、民主主義を冒涜しているとしかいいようがありませんね。

感情によって煽られるのが人間であり、どんな人間であっても、こと自分に関わる話なれば、感情的になってしまいます。
人間のこうした性質をうまく利用して、民主主義のいわば弱点を突くような形で、プロパガンダがされているというわけです。
とりわけ十年くらい前から活発なのがロシアの動き。
民主主義国家をフェイクニュースによるプロパガンダによって揺さぶり、社会的分断をもたらそうとしているんですね。
それによって、相対的に自分たちの国の存在感をあげようとしているんです。

本作自体はロシアによるウクライナ侵攻前に出版されたものですが、今の状況を見ると、何だかやっぱりロシアはちょっと酷いなと思います。
散々、ウクライナをナチ呼ばわりしていますが、完全にナチの手法を用いているのは自分たちですからね。

最後の章でドイツでは国民投票が出来ない仕組みになっているということを知って驚きました。
国民投票を利用して、好き勝手やっていたナチスに対しての反省でそうなっているということですが、これは確かに一理あると思いました。
国民投票こそが民主的と思いがちですが、国民投票で〇か✕かを決めることは、それこそがプロパガンダの餌食となって危ない話であると思います。
決まってしまえば、もうどうにもならず、よく話し合うことも出来ないですからね。

煽るだけ煽って、自分たちのいいように国民投票によって法律や国の在り方を変えてしまえば、後々大変なことになりかねません。
ていうか、自分の主義主張にたって、国民投票を利用しようという輩は日本の政治家にだって絶対にいますからね。
国民投票をやるのなら、ちゃんと引き返し、やり直す道も残した方がいいですね。

まあ、それよりもまず本作の作者がいうように、なぜラディカルに変えにくい間接民主制を多くの国が採用しているのかを皆がよく考えるべきだと思いますが。